奈良
薬師寺(http://www.nara-yakushiji.com/)
法相宗
中門の外からの写真です。
薬師寺では伽藍の中門、金堂、大講堂のすべてにこの同じ几帳がかけられています。
現在、解体修理中の東塔のあたりから、この、中門、金堂、大講堂すべてにかかる几帳が見渡せ、とても迫力があるのでおすすめです。
中門はよく風が通りますので、写真のように力強くはためく几帳を眺めることができるのですね。
几帳のアップです。
薬師寺の几帳は、白無地。
中の長い布(ノスジ)に寒色系のグラデーションがほどこされています。
ノスジのアップです。
外から黄、緑、青、黒。白も入れると5色ということなのでしょうか。
内側に向かって濃くなっていくのは繧繝彩色(うんげんさいしき)のようですが、それぞれの色の意味や、もとになった文様があるのかなどは分かりませんでした。
昭和51年に金堂の再建完成の折にこの几帳になったようです。
薬師寺では、日常的には綿の几帳がかけられ、大きな行事、たとえば3月の修二会花会式や4月の最勝会には麻の物に変えられるようです。
几帳の文様とは違いますが、お寺の家紋は興福寺と同じ「下がり藤」。大きな法要の時の干菓子や、瓦に使われているのだそうです。
薬師寺の方も普段は「几帳」とよばれているそうですが、よくよく考えると「戸帳」といった方がいいのかもしれませんね、とおっしゃていました。たしかに、戸・扉の役目をしていますよね。
さて、扉といえばとても面白い話をうかがうことができました。
今は誰でもお堂に入って仏様を拝むことができますが、本来お堂はそのように開放的なものではなく、扉も閉じられたままだったそうです。そして、その扉は内開きなのだそうです。
金堂の写真です。
扉は…外開きですよね?!
これは再建されるときに、扉が内開きでは参拝者が中に入っても狭くて通れないということで、外開きにして、扉についている鋲のような装飾もまた、見えるようにしたのだそうです。
そのようないろいろな配慮があるおかげで、仏様を身近で拝むことができるのですね。
綺帳・几帳・戸帳・門帳・・・お寺の門にかかっている”のれん”のような布
いろいろな呼び名がありますが「几帳 きちょう」と呼ばれることが多いようです
いわゆる名刹の門にはよく、そのお寺独自の文様が描かれた几帳がかけられています
お寺の門をくぐるときには、ぜひ、風にはためく美しい几帳を見上げてみてください
お寺と文様の関係を考えてみるのも、お寺を訪れる楽しみの一つになるにちがいありません
2014年3月6日木曜日
奈良 唐招提寺
奈良
唐招提寺(http://www.toshodaiji.jp/)
律宗
中国から苦難の末に渡日された鑑真和上は、始め東大寺で5年を過ごされたのち、唐招提寺を創建されたのだそうです。
唐招提寺では、金堂平成大修理のあと几帳の文様が新しくおこされました。それがこの写真のような、宝相華(想像上の花文)2種類の文様です。
この、文様については壮大な歴史ロマンがあるので、のちほど詳しく書きます。
平成の大修理以前の几帳はどんな文様だったかというと、実は鳳凰文だったそうです。
これは、唐招提寺の売店で売られている本の表紙です。
矢印のところに、几帳がかかっているのが分かりますが、これをルーペでよーくよーく見ると、たしかに丸い文様です。鳳凰かどうかは残念ながらよく分かりません。
ところで、鳳凰文といえば現在東大寺の几帳の文様です。全く同じものではないと思いますが、正倉院文様にオリジナルがあるのか、同じような文様を使う理由があったのかなど、気になります。鑑真和上の東大寺つながり、なのかもしれません。
また、同じく売店で売っている「共結来縁」という本の中に、「明治大修理以前の金堂」の写真が載っていました。そしてこの写真の金堂には、几帳がかかっていません。
パンフレット用などではなく、日常風景の写真でしたので、その頃は、法要の時だけ几帳をかけていたということを示しているのかもしれません。
記録写真から、几帳の歴史を追いかけるのもぜひやってみたいと思っています。
さて、唐招提寺では現在、金堂にかけられているとめ柄(そのお寺オリジナルの文様のこと。「几帳ができるまで」参照)の几帳と、大講堂にかけられている汎用柄の2種類の几帳が用いられています。
金堂にかけられている几帳のアップです。
2種類の宝相華が描かれています。
約10年にわたって行われた金堂平成大修理の時に、金堂の扉の金具をはずすと、その下から、創建当時(奈良時代)に描かれていた色鮮やかな文様の色彩が発見されました。
長い年月、金具に守られて残っていたのです。そこで、扉全体を詳しく調査した結果、2種類の宝相華が、1つの扉に12個描かれていることがわかり、その文様が復元されました。
この2種類の宝相華が色鮮やかに描かれている扉、想像できますか?
1300年近い昔、創建当時はとてもきらびやかだったのでしょう。
ありがたいもの、大切なものを飾るという気持ちが、現代の几帳とつなっがっているのかな、などと想像してしまいます。
宝相華が発見された扉です。
現在も金堂の扉としてそこにあります。
創建当時、扉に宝相華を描いた人たちの気持ちが、現代ではこの几帳の文様となって描かれていると思うと、とても不思議な感じがします。
大講堂の几帳です。
かわいらしい草花文様です。
おそらく正倉院の宝物からの文様だと思われます。
近くで見ると、ノスジ(細くて長い布)もだいぶ色あせて擦り切れています。
唐招提寺の方も「そろそろ取り替え時期ですね…」とおっしゃっていました。
こうやって、几帳がお堂に入る光や風を和らげてくれているのでしょう。
唐招提寺では日常的には綿の几帳が、大きな法要や行事のときなどは、麻の几帳が用いられます。また、鼓楼にかかることもあるそうです。
近々では5月の中興忌梵網会(ちゅうこうきぼんもうえ:うちわまき)や6月の開山忌舎利会の時に、麻の几帳がかけられるようです。
唐招提寺(http://www.toshodaiji.jp/)
律宗
中国から苦難の末に渡日された鑑真和上は、始め東大寺で5年を過ごされたのち、唐招提寺を創建されたのだそうです。
唐招提寺では、金堂平成大修理のあと几帳の文様が新しくおこされました。それがこの写真のような、宝相華(想像上の花文)2種類の文様です。
この、文様については壮大な歴史ロマンがあるので、のちほど詳しく書きます。
平成の大修理以前の几帳はどんな文様だったかというと、実は鳳凰文だったそうです。
これは、唐招提寺の売店で売られている本の表紙です。
矢印のところに、几帳がかかっているのが分かりますが、これをルーペでよーくよーく見ると、たしかに丸い文様です。鳳凰かどうかは残念ながらよく分かりません。
ところで、鳳凰文といえば現在東大寺の几帳の文様です。全く同じものではないと思いますが、正倉院文様にオリジナルがあるのか、同じような文様を使う理由があったのかなど、気になります。鑑真和上の東大寺つながり、なのかもしれません。
また、同じく売店で売っている「共結来縁」という本の中に、「明治大修理以前の金堂」の写真が載っていました。そしてこの写真の金堂には、几帳がかかっていません。
パンフレット用などではなく、日常風景の写真でしたので、その頃は、法要の時だけ几帳をかけていたということを示しているのかもしれません。
記録写真から、几帳の歴史を追いかけるのもぜひやってみたいと思っています。
さて、唐招提寺では現在、金堂にかけられているとめ柄(そのお寺オリジナルの文様のこと。「几帳ができるまで」参照)の几帳と、大講堂にかけられている汎用柄の2種類の几帳が用いられています。
文様のアップ~ |
金堂にかけられている几帳のアップです。
2種類の宝相華が描かれています。
約10年にわたって行われた金堂平成大修理の時に、金堂の扉の金具をはずすと、その下から、創建当時(奈良時代)に描かれていた色鮮やかな文様の色彩が発見されました。
長い年月、金具に守られて残っていたのです。そこで、扉全体を詳しく調査した結果、2種類の宝相華が、1つの扉に12個描かれていることがわかり、その文様が復元されました。
再現された宝相華 |
この2種類の宝相華が色鮮やかに描かれている扉、想像できますか?
1300年近い昔、創建当時はとてもきらびやかだったのでしょう。
ありがたいもの、大切なものを飾るという気持ちが、現代の几帳とつなっがっているのかな、などと想像してしまいます。
宝相華が発見された扉です。
現在も金堂の扉としてそこにあります。
創建当時、扉に宝相華を描いた人たちの気持ちが、現代ではこの几帳の文様となって描かれていると思うと、とても不思議な感じがします。
大講堂の几帳です。
かわいらしい草花文様です。
おそらく正倉院の宝物からの文様だと思われます。
文様のアップ~ |
近くで見ると、ノスジ(細くて長い布)もだいぶ色あせて擦り切れています。
唐招提寺の方も「そろそろ取り替え時期ですね…」とおっしゃっていました。
こうやって、几帳がお堂に入る光や風を和らげてくれているのでしょう。
唐招提寺では日常的には綿の几帳が、大きな法要や行事のときなどは、麻の几帳が用いられます。また、鼓楼にかかることもあるそうです。
近々では5月の中興忌梵網会(ちゅうこうきぼんもうえ:うちわまき)や6月の開山忌舎利会の時に、麻の几帳がかけられるようです。
2014年3月2日日曜日
奈良 興福寺
奈良
興福寺(http://www.kohfukuji.com/)
法相宗
興福寺東金堂の几帳です。
興福寺では戸帳(とちょう)と呼ばれています。
3本の長い布(ノスジ)は、もともと表が真っ黒、裏が赤色なのですが、黒はすっかり色あせています。文様はいちょうです。
東金堂は西日が強く当たるので退色も激しいようです。一般には公開されていないお堂の内部にかけられている戸帳もあり、それはきれいな黒のままだそうです。
2頭の鹿が向かい合う愛らしい文様です。奈良といえば鹿、そして奈良公園に隣接する興福寺の境内では鹿の姿も見かけられます。
しかし、単に奈良公園の鹿をモチーフにした文様ではなく正倉院の宝物に描かれている文様を図案化したものです。
正倉院北倉の宝物「麟鹿草木夾纈屏風(りんろくくさききょうけちのびょうぶ)」の写真です。
上の大きな木はぶどうだと聞きましたが、別の見方もあるようです。鹿の間の草木が何かはわかりませんでした。
正倉院といえば東大寺ですが、興福寺の東金堂は聖武天皇が叔母の病気平癒を祈願して建立されたということもあり、聖武天皇の愛用品が保管されていた正倉院ともつながりが深いのですね。
正倉院文様については、几帳のデザインにもよく登場しますので別ページでまとめたいと思います。
興福寺に鹿の戸帳は本当にぴったり。現在、再建が進んでいる中金堂にはどのような戸帳がかけられるのでしょうか、楽しみです。
興福寺(http://www.kohfukuji.com/)
法相宗
興福寺東金堂の几帳です。
興福寺では戸帳(とちょう)と呼ばれています。
3本の長い布(ノスジ)は、もともと表が真っ黒、裏が赤色なのですが、黒はすっかり色あせています。文様はいちょうです。
東金堂は西日が強く当たるので退色も激しいようです。一般には公開されていないお堂の内部にかけられている戸帳もあり、それはきれいな黒のままだそうです。
図柄アップ~! |
2頭の鹿が向かい合う愛らしい文様です。奈良といえば鹿、そして奈良公園に隣接する興福寺の境内では鹿の姿も見かけられます。
しかし、単に奈良公園の鹿をモチーフにした文様ではなく正倉院の宝物に描かれている文様を図案化したものです。
正倉院北倉の宝物「麟鹿草木夾纈屏風(りんろくくさききょうけちのびょうぶ)」の写真です。
上の大きな木はぶどうだと聞きましたが、別の見方もあるようです。鹿の間の草木が何かはわかりませんでした。
正倉院といえば東大寺ですが、興福寺の東金堂は聖武天皇が叔母の病気平癒を祈願して建立されたということもあり、聖武天皇の愛用品が保管されていた正倉院ともつながりが深いのですね。
正倉院文様については、几帳のデザインにもよく登場しますので別ページでまとめたいと思います。
興福寺に鹿の戸帳は本当にぴったり。現在、再建が進んでいる中金堂にはどのような戸帳がかけられるのでしょうか、楽しみです。
2014年3月1日土曜日
奈良 東大寺
奈良
東大寺(http://www.todaiji.or.jp/)
華厳宗
東大寺中門にかかる几帳です。大きな法要などの時は南大門にもかけられるようです。
南大門は高さがあるので、几帳の長さも約2倍になります。(見せていただいた法要の時の写真に鳳凰文が4つついていましたので)
以前は中門の几帳も行事のない時は外していたようですが、今は常時かけられています。
いつ頃から几帳をかけるようになったのかははっきりしませんでした。
図柄の丸い方は鳳凰、フニャフニャしたのは雲のようです。
おそらくどちらも正倉院文様をもとにデザインされたものと思われます。
細くて長い布(ノスジというそうです)に描かれているものも雲だそうです。
威風堂々としたデザインの几帳は、その向こうに見える金堂の琉遮那仏のイメージともよく合っています。
東大寺(http://www.todaiji.or.jp/)
華厳宗
東大寺中門にかかる几帳です。大きな法要などの時は南大門にもかけられるようです。
南大門は高さがあるので、几帳の長さも約2倍になります。(見せていただいた法要の時の写真に鳳凰文が4つついていましたので)
以前は中門の几帳も行事のない時は外していたようですが、今は常時かけられています。
いつ頃から几帳をかけるようになったのかははっきりしませんでした。
図柄の丸い方は鳳凰、フニャフニャしたのは雲のようです。
おそらくどちらも正倉院文様をもとにデザインされたものと思われます。
図柄アップ~! |
威風堂々としたデザインの几帳は、その向こうに見える金堂の琉遮那仏のイメージともよく合っています。
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