唐招提寺(http://www.toshodaiji.jp/)
律宗
中国から苦難の末に渡日された鑑真和上は、始め東大寺で5年を過ごされたのち、唐招提寺を創建されたのだそうです。
唐招提寺では、金堂平成大修理のあと几帳の文様が新しくおこされました。それがこの写真のような、宝相華(想像上の花文)2種類の文様です。
この、文様については壮大な歴史ロマンがあるので、のちほど詳しく書きます。
平成の大修理以前の几帳はどんな文様だったかというと、実は鳳凰文だったそうです。
これは、唐招提寺の売店で売られている本の表紙です。
矢印のところに、几帳がかかっているのが分かりますが、これをルーペでよーくよーく見ると、たしかに丸い文様です。鳳凰かどうかは残念ながらよく分かりません。
ところで、鳳凰文といえば現在東大寺の几帳の文様です。全く同じものではないと思いますが、正倉院文様にオリジナルがあるのか、同じような文様を使う理由があったのかなど、気になります。鑑真和上の東大寺つながり、なのかもしれません。
また、同じく売店で売っている「共結来縁」という本の中に、「明治大修理以前の金堂」の写真が載っていました。そしてこの写真の金堂には、几帳がかかっていません。
パンフレット用などではなく、日常風景の写真でしたので、その頃は、法要の時だけ几帳をかけていたということを示しているのかもしれません。
記録写真から、几帳の歴史を追いかけるのもぜひやってみたいと思っています。
さて、唐招提寺では現在、金堂にかけられているとめ柄(そのお寺オリジナルの文様のこと。「几帳ができるまで」参照)の几帳と、大講堂にかけられている汎用柄の2種類の几帳が用いられています。
文様のアップ~ |
金堂にかけられている几帳のアップです。
2種類の宝相華が描かれています。
約10年にわたって行われた金堂平成大修理の時に、金堂の扉の金具をはずすと、その下から、創建当時(奈良時代)に描かれていた色鮮やかな文様の色彩が発見されました。
長い年月、金具に守られて残っていたのです。そこで、扉全体を詳しく調査した結果、2種類の宝相華が、1つの扉に12個描かれていることがわかり、その文様が復元されました。
再現された宝相華 |
この2種類の宝相華が色鮮やかに描かれている扉、想像できますか?
1300年近い昔、創建当時はとてもきらびやかだったのでしょう。
ありがたいもの、大切なものを飾るという気持ちが、現代の几帳とつなっがっているのかな、などと想像してしまいます。
宝相華が発見された扉です。
現在も金堂の扉としてそこにあります。
創建当時、扉に宝相華を描いた人たちの気持ちが、現代ではこの几帳の文様となって描かれていると思うと、とても不思議な感じがします。
大講堂の几帳です。
かわいらしい草花文様です。
おそらく正倉院の宝物からの文様だと思われます。
文様のアップ~ |
近くで見ると、ノスジ(細くて長い布)もだいぶ色あせて擦り切れています。
唐招提寺の方も「そろそろ取り替え時期ですね…」とおっしゃっていました。
こうやって、几帳がお堂に入る光や風を和らげてくれているのでしょう。
唐招提寺では日常的には綿の几帳が、大きな法要や行事のときなどは、麻の几帳が用いられます。また、鼓楼にかかることもあるそうです。
近々では5月の中興忌梵網会(ちゅうこうきぼんもうえ:うちわまき)や6月の開山忌舎利会の時に、麻の几帳がかけられるようです。
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