2014年8月22日金曜日

清水寺 千日詣り

仁王門の几帳
京都
清水寺(http://www.kiyomizudera.or.jp/
北法相宗

北法相宗の「北」というのは南都・奈良に対して北の京都に立地するという意味だそうです(清水寺HPより)法相宗といえば奈良では興福寺(こちら)と薬師寺(こちら) 
こちらの几帳もどうぞご覧ください!

「千日詣り」と言うのは、1日のお参りで1000日分のご利益があるという観音様最大の功徳日で、毎年8月の約10日間行われる行事です。この「千日詣り」の間は本堂の普段入ることのできない内内陣まで入って参拝することができます。そして、とても貴重な特別な几帳がかかると聞き、行ってまいりました。

清水寺に向かう坂を上ると、境内の入口である仁王門には鳳凰柄の几帳がかかっていました。このすぐ右隣の西門にもかかっています。西門は確認できなかったのですが、仁王門の几帳は素材が麻でした。文様の並び方が幾何学的ですっきりしています。仁王門には普段は几帳はかけられておらず、正月や千日詣り、特別な法要の時のみかけられるそうです。西門も同様だと思います。

そして本堂は、いわゆる清水の「舞台」に一番近い外陣、内陣、内内陣という作りになっています。この外陣と内陣の間にかかっているのが、千日詣りの間だけにかけられる特別な几帳「藕糸織几帳(ぐうしおりきちょう)」です。
お堂の外から写しましたので少し分かりにくいですが・・・。
何が特別かというと、今まで見てきた几帳は紋様の部分が染めものになっていましたが、これは、草花文様の部分が刺しゅうのような感じ(織物)になっていて、花の部分には金箔が施されています。
この、織に使われているのが「蓮糸(はすいと)」や「藕糸(ぐうし)」と呼ばれるハスの茎から採れる繊維を撚った糸です。織物を藕糸織(ぐうしおり)といいます。仏教と蓮の関係は深く、蓮の繊維を織物に用いたという歴史もとても古いのだそうです。ハス糸で有名なのはミャンマーのインレー湖で採られるハスのもので、現在でも採取されているそうですが、それを糸にし、織物にする過程は気の遠くなるような作業です。当然この糸は大変貴重でミャンマーでも藕糸織の法衣を身につけることができるのは一部の僧侶の方ということです。清水寺のこの几帳は2004年にミャンマーの蓮糸を使って織られ、奉納されたそうです。その由来の説明板が千日詣りの間、外陣に置かれています。

由来の説明



















ちなみに千日詣り以外の時は染物の麻の几帳がかけられ、正月には正月用の別の麻の几帳がか

かるそうです。どんな几帳でしょうか!? 次のお正月にはお参りして見て来たいと思います。




2014年6月7日土曜日

唐招提寺 御影堂特別開帳


奈良
唐招提寺(http://www.toshodaiji.jp/
律宗

唐招提寺はこちらこちら(続編)にもあります

写真は国宝 鑑真和上坐像です。
「誰でも知っている」といって過言ではない、大変有名なお像ですが、毎年、鑑真和上の命日にあたる6月6日前後の計3日間だけ開帳され、拝観することができます。

御影堂には故東山魁夷画伯が奉納された障壁画もあり、同時に特別公開されます。

そして…麻の戸帳がかけられる、と聞きましたので行ってまいりました。
今回、唐招提寺さんでは「几帳」ではなく「戸帳」と言われていましたので、ここでも「戸帳」と呼ぶことにします。

南大門

南大門の戸帳です。
通常、南大門には戸帳がかかっていませんが、大きな行事の時にはここにもかけられるようです。
素材は麻です。
文様は唐招提寺のとめ柄である2種類の宝相華ですが、染めてある色が、普段金堂にかけられているものはえび色(葡萄色)っぽいですが、これは灰みがかった黒茶のような感じです。顔料が違うのでしょうか、素材の違いでそうみえるのでしょうか…

いずれにせよ、素材の風合いといい、染め色といい、シブい!特別な日にふさわしく、引き締まる感じがします。


南大門の奥に見えているのは金堂です。こちらは、普段と同じ綿の戸帳がかけられていました。あとで、少しお話を聞いていたところ、やはりかけ替えはとても大変だそうです。




講堂です。こちらはいつもとは全く違う表情です。五色幕がかけられ、戸帳も普段は綿の花文様ですが今日は麻の、唐招提寺とめ柄の宝相華文様の戸帳がかかっています。五色幕の後ろにちらりと見えます。アップの写真も下に。

この五色幕の柄は唐草牡丹だと思います。

手前の棒には「幡」がかけられるのですが、あいにくの雨模様でしたので、「濡らすわけにはいかないもので…」ということでかけられていません。残念~

しかし、講堂の中には特別な幡がかけれれていました。それは、徳川綱吉の生母 桂昌院の生家の家紋「九つ目結紋」と「葵紋」がデザインされた幡です。



九つ目結紋はこのような紋です。桂昌院は多くの寺院に寄進をされていていますので、他のお寺でも同じように2つの紋をデザインしたものを見ることができます。幡自体は新しいものです。

この日は見ることができませんでしたが、講堂の上部にかかる華鬘(けまん:飾り)には桂昌院がご寄進された日付などが残っているそうです。







講堂出入り口

講堂の出入り口の戸帳です。
素材は麻です。南大門の戸帳と比べると大き目で宝相華の数も多いです。
戸帳は、かける場所に合わせたオーダーメイドなのですね。
特別な戸帳ですので、痛みも色あせもなくとても美しいです。










こちらは御影堂の入口(玄関)です。門にも、同じく菊花紋の麻の白い幕がかけられていました。

御影堂自体、現存する数少ない寝殿造りの建物として重要文化財に指定されています。
そして、鑑真和上坐像の特別開帳に合わせ、年に3日間だけ入ることができます。








こちらは、玄関からみた御影堂です。御影堂にも五色幕がかけられています。お庭には、幡をかけるための棒(?)も用意されています。
どんな幡がかけられるはずだったのか…また来年のお楽しみですね。

この五色幕にも柄があるのが見えるかと思います。アップにしてみると…








こちらも菊花紋でした。素材は絹のようです。五色幕にもいろいろな柄があるのですね。



















さて、最後は「宝物殿」の戸帳です。こちらは「唐招提寺:続編(こちら)」で書いた、平成の大改修以前に使われていた鳳凰柄と同じではないかと思われます。

鳳凰が右向きと左向きがありますね。素材は綿です。









2014年5月5日月曜日

唐招提寺 続編

「奈良六大寺大観 唐招提寺」より
奈良
唐招提寺(http://www.toshodaiji.jp/
律宗

唐招提寺は(こちら)にもあります


以前の唐招提寺のブログ(こちら)で、「昔は鳳凰紋だった」と書きましたが、それが、この写真の几帳です。

小さくて分かりにくいかもしれませんが、右向きと左向きと二種類の鳳凰と花文様です。


この写真は、おそらく昭和40年代初期に撮られたものと思われます。

アップ~!


現在、法輪寺で使われている几帳(こちら)と比べると、鳳凰紋とお花の配置バランスは違いますが文様は同じもののようです。

古い図録や図書資料を見ていて、昔の几帳が載っている写真を見つけるのは、宝探しの気分です 笑

2014年5月3日土曜日

奈良 東大寺 聖武天皇祭

奈良
東大寺(http://www.todaiji.or.jp/
華厳宗

東大寺は(こちら)にもあります。

聖武天皇祭(毎年5月2日)

大きな法要のある時には、南大門にも几帳がかけられるということを聞いていましたが、今回、聖武天皇祭には、南大門に麻の几帳がかかるということで、見てきました。


人と比べてみると、圧倒される大きさですね。
さわってみたところ、たしかに麻のようでした。

伽藍中門の几帳は綿のものですが、こちら南大門の几帳は素材だけでなく、実はデザインも微妙に違います。















文様アップ
文様をアップにしてみると、鳳凰紋の間に小さな花紋と百合の花の文様があるのがわかります。





















中門の几帳
普段から中門にかけられている几帳にはお花の文様はありません。

やはり、素材だけでなくデザインもハレの日用なのですね。

以前の東大寺のブログ(こちら) に書きましたが…。

中門の几帳も昔は大きな行事の時だけにかけられていたそうですが、平成25年の1月から、日常的にかけられるようになったそうです。

几帳の取り外しは想像しても大変そうですが、一度作業の様子を見てみたいものです。



ところで、南大門から伽藍中門への道々、また、伽藍内部にもこのような幡(ばん)が飾られています。

とても大きなものです。
幡を吊り下げている飾りが竜になっていたりして、こちらもハレの日の飾りらしく華やかです。















垂れている部分をアップにすると、このような繧繝彩色のようなデザインです。

素材は麻の様です。

これ、見覚えが…

薬師寺の几帳のノスジと同じような色合いです!
薬師寺のブログは(こちら)

こちらの方が少し色合いが明るく見えますね。










戒壇堂入口
こちらは、東大寺 戒壇堂入口の几帳です。

広い境内ですので、戒壇堂あたりまでくると、人も鹿もぐっと少なくなります。













文様アップ~
こちらも鳳凰ですが、とてもかわいらしい、優雅な鳳凰紋です。

鳳凰が口にくわえているのは、何のお花なのでしょうか。

ノスジにも鳳凰と蝶が描かれています。

伽藍中門などの威風堂々といった感じの鳳凰と対照的に、女性的なやわらかい印象ですね。
おまけ…(聖武祭のメインですけど 笑)

こちらは聖武天皇祭の法要が行われる「天皇殿」の門にかけられている幕です。

天皇殿は通常は公開されておらず、この法要の時だけ参拝することができます。

天皇殿ですので、幕の文様は十六八重菊紋ですね。

(ちなみに「東大寺の家紋」というのはないそうです)



本堂には五色幕がかかっていました。仏教寺院であることを示す五色幕、色にはそれぞれ意味があります。

聖武天皇祭の時だけかけられる、専用の幕のようです。

生地には何かのお花の模様が入っていました。

(2014.05.12⇒職員の方が調べてくださり、牡丹ということが分かりました。唐草牡丹という柄が刺しゅうされています。生地は絹!です。どうもありがとうございました)

このような幕のかけ方を見ると、飾りであると同時に、結界という意味合いも強く感じますね。





奈良 法起寺



三重塔
奈良
法起寺(http://www.horyuji.or.jp/hokiji.htm
聖徳宗

聖徳太子ゆかりのお寺です。写真は国宝の三重塔(飛鳥時代)の入口にかかる几帳です。










図柄アップ~

図柄をアップで見ると…法隆寺の四天王紋と同じですね。

法起寺は法隆寺の管轄で、僧職の方も法隆寺から兼任でいらっしゃるそうです。
なので、場所は少し離れて名前も違いますが同じお寺、ということで几帳も同じものが使われています。


伽藍の配置が法隆寺とは逆になっていて、また、現在はお寺の西門が受付になっていますが、伽藍中門の跡などもあります。

時代を経て、失われた建造物の再建はとても難しいのだろうな、と感じました。




奈良 法輪寺

奈良
法輪寺(http://www1.kcn.ne.jp/~horinji/
聖徳宗

法輪寺は法隆寺の北に徒歩20分くらいのところにあり、聖徳太子ゆかりのお寺です。別名を三井寺(みいでら)ともいいます。

法隆寺式の伽藍に三重塔、ご本尊は飛鳥時代の薬師如来坐像で、鞍部止利の作といわれています。

講堂にかかる几帳は鳳凰紋と花文様です。文様自体は、法輪寺独自のものではありません。
一年を通して麻の物が掛けられています。

講堂の門は内開きなので、外からは扉は見えませんが、講堂の中に入ると、開けられた扉から、几帳を通して外のやわらかい光とかすかな風が感じられ、とても美しいです。

几帳の裾が、棒で固定されていますので、風にはためくことはなく、扉の役目を果たしているともいえそうです。


ご住職さんに、三重塔の扉の構造や、内部はどうなっているのかなど興味深いお話をたくさん教えていただきました。特別公開などもない三重塔の中には、平安時代の釈迦如来坐像と四天王像が安置されているそうです。昭和19年には落雷で火災が発生し、ご仏像と仏舎利を運び出されたそうです。

法隆寺の人波も、この辺りでは落ち着いて、ゆっくりと散策できました。

2014年4月18日金曜日

奈良 法隆寺

西院伽藍中門
奈良
法隆寺(http://www.horyuji.or.jp/
聖徳宗

世界最古の木造建築として知られている法隆寺。修学旅行生もたくさんみかけます。

法隆寺の南大門、伽藍中門、五重塔、金堂、大講堂などすべてに同じ文様の几帳がかけられています。

文様は同じですが、紋のサイズは3種類あります。几帳の大きさもそれぞれの場所に応じたものになっています。


文様アップ~


この文様は、「四天王紋」とよばれ、金堂の東側入口すぐに安置されている四天王像の多聞天光背の文様がモチーフになっています。

金堂は暗く、像の向きの関係もあって光背の文様を見ることは難しいです。特別に懐中電灯を使わせていただいたのですが、わかりませんでした。

そこで、資料を探しましたので次の写真をご覧ください。






「奈良六大寺大観」より

法隆寺 金堂 四天王像 多聞天(飛鳥時代 国宝)です。
矢印のところにある文様が几帳の文様のもとになった、ハス(蓮華)です。
奈良国立博物館の仏教美術研究センターでデジタルデータを閲覧することができます。

データ画像を拡大してよーく見ると、この文様が光背に六ヶ所あるようです。ただ、四か所ははっきり分かるのですが、二か所は「ある…かな?」くらいでした。












「国宝彫像」より文様のアップです。

几帳の写真と見比べると、この光背の文様が繊細に几帳に再現されているのがよく分かると思います。

この文様の几帳は、平成10年の大宝蔵院落成から使われ始めました。それ以前は鳳凰紋だったそうです。







大講堂です。人と比べると、几帳の大きさがよく分かります。壮観ですね。













大講堂の拝観順路の出口はこんなシンプルな感じです。














五重塔や金堂には小さ目のかわいらしい几帳がかかっています。文様は同じでも、大きさによって印象がかわりますね。


















おまけ…

これは、法隆寺の東院伽藍の横にある中宮寺のお堂の扉です。

中宮寺では几帳は使われていませんが、皇族の女性とつながりの深い尼寺ですので、扉に菊紋がはいっています。

運よく、普段は入ることのできない、ご本尊の菩薩半跏像が安置されている段の中から間近で拝見することができました。

菩薩半跏像の光背の真ん中には、大きくハス(蓮華)が形どられているのを見ることができました。こちらは、法隆寺多聞天の光背の文様よりも、よりお花らしい文様でした。






もう一つおまけ…

新聞に載っていた法隆寺管長の写真です。

着ておられる法衣の文様は鳳凰かな~?ついついこんなところばかり見てしまいます 笑

2014年3月6日木曜日

奈良 薬師寺

奈良
薬師寺(http://www.nara-yakushiji.com/
法相宗

中門の外からの写真です。
薬師寺では伽藍の中門、金堂、大講堂のすべてにこの同じ几帳がかけられています。

現在、解体修理中の東塔のあたりから、この、中門、金堂、大講堂すべてにかかる几帳が見渡せ、とても迫力があるのでおすすめです。

中門はよく風が通りますので、写真のように力強くはためく几帳を眺めることができるのですね。




几帳のアップです。

薬師寺の几帳は、白無地。
中の長い布(ノスジ)に寒色系のグラデーションがほどこされています。












ノスジのアップです。
外から黄、緑、青、黒。白も入れると5色ということなのでしょうか。
内側に向かって濃くなっていくのは繧繝彩色(うんげんさいしき)のようですが、それぞれの色の意味や、もとになった文様があるのかなどは分かりませんでした。

昭和51年に金堂の再建完成の折にこの几帳になったようです。

薬師寺では、日常的には綿の几帳がかけられ、大きな行事、たとえば3月の修二会花会式や4月の最勝会には麻の物に変えられるようです。




几帳の文様とは違いますが、お寺の家紋は興福寺と同じ「下がり藤」。大きな法要の時の干菓子や、瓦に使われているのだそうです。

薬師寺の方も普段は「几帳」とよばれているそうですが、よくよく考えると「戸帳」といった方がいいのかもしれませんね、とおっしゃていました。たしかに、戸・扉の役目をしていますよね。

さて、扉といえばとても面白い話をうかがうことができました。
今は誰でもお堂に入って仏様を拝むことができますが、本来お堂はそのように開放的なものではなく、扉も閉じられたままだったそうです。そして、その扉は内開きなのだそうです。

金堂の写真です。
扉は…外開きですよね?!

これは再建されるときに、扉が内開きでは参拝者が中に入っても狭くて通れないということで、外開きにして、扉についている鋲のような装飾もまた、見えるようにしたのだそうです。

そのようないろいろな配慮があるおかげで、仏様を身近で拝むことができるのですね。

奈良 唐招提寺

奈良
唐招提寺(http://www.toshodaiji.jp/
律宗

中国から苦難の末に渡日された鑑真和上は、始め東大寺で5年を過ごされたのち、唐招提寺を創建されたのだそうです。

唐招提寺では、金堂平成大修理のあと几帳の文様が新しくおこされました。それがこの写真のような、宝相華(想像上の花文)2種類の文様です。




この、文様については壮大な歴史ロマンがあるので、のちほど詳しく書きます。
平成の大修理以前の几帳はどんな文様だったかというと、実は鳳凰文だったそうです。

これは、唐招提寺の売店で売られている本の表紙です。

矢印のところに、几帳がかかっているのが分かりますが、これをルーペでよーくよーく見ると、たしかに丸い文様です。鳳凰かどうかは残念ながらよく分かりません。









ところで、鳳凰文といえば現在東大寺の几帳の文様です。全く同じものではないと思いますが、正倉院文様にオリジナルがあるのか、同じような文様を使う理由があったのかなど、気になります。鑑真和上の東大寺つながり、なのかもしれません。

また、同じく売店で売っている「共結来縁」という本の中に、「明治大修理以前の金堂」の写真が載っていました。そしてこの写真の金堂には、几帳がかかっていません。
パンフレット用などではなく、日常風景の写真でしたので、その頃は、法要の時だけ几帳をかけていたということを示しているのかもしれません。

記録写真から、几帳の歴史を追いかけるのもぜひやってみたいと思っています。

さて、唐招提寺では現在、金堂にかけられているとめ柄(そのお寺オリジナルの文様のこと。「几帳ができるまで」参照)の几帳と、大講堂にかけられている汎用柄の2種類の几帳が用いられています。

文様のアップ~

金堂にかけられている几帳のアップです。
2種類の宝相華が描かれています。

約10年にわたって行われた金堂平成大修理の時に、金堂の扉の金具をはずすと、その下から、創建当時(奈良時代)に描かれていた色鮮やかな文様の色彩が発見されました。

長い年月、金具に守られて残っていたのです。そこで、扉全体を詳しく調査した結果、2種類の宝相華が、1つの扉に12個描かれていることがわかり、その文様が復元されました。










再現された宝相華

この2種類の宝相華が色鮮やかに描かれている扉、想像できますか?

1300年近い昔、創建当時はとてもきらびやかだったのでしょう。

ありがたいもの、大切なものを飾るという気持ちが、現代の几帳とつなっがっているのかな、などと想像してしまいます。

宝相華が発見された扉です。
現在も金堂の扉としてそこにあります。

創建当時、扉に宝相華を描いた人たちの気持ちが、現代ではこの几帳の文様となって描かれていると思うと、とても不思議な感じがします。








大講堂の几帳です。
かわいらしい草花文様です。
おそらく正倉院の宝物からの文様だと思われます。



















文様のアップ~

近くで見ると、ノスジ(細くて長い布)もだいぶ色あせて擦り切れています。
唐招提寺の方も「そろそろ取り替え時期ですね…」とおっしゃっていました。
こうやって、几帳がお堂に入る光や風を和らげてくれているのでしょう。
















唐招提寺では日常的には綿の几帳が、大きな法要や行事のときなどは、麻の几帳が用いられます。また、鼓楼にかかることもあるそうです。
近々では5月の中興忌梵網会(ちゅうこうきぼんもうえ:うちわまき)や6月の開山忌舎利会の時に、麻の几帳がかけられるようです。



2014年3月2日日曜日

奈良 興福寺

奈良
興福寺(http://www.kohfukuji.com/
法相宗

興福寺東金堂の几帳です。
興福寺では戸帳(とちょう)と呼ばれています。

3本の長い布(ノスジ)は、もともと表が真っ黒、裏が赤色なのですが、黒はすっかり色あせています。文様はいちょうです。

東金堂は西日が強く当たるので退色も激しいようです。一般には公開されていないお堂の内部にかけられている戸帳もあり、それはきれいな黒のままだそうです。

図柄アップ~!

2頭の鹿が向かい合う愛らしい文様です。奈良といえば鹿、そして奈良公園に隣接する興福寺の境内では鹿の姿も見かけられます。

しかし、単に奈良公園の鹿をモチーフにした文様ではなく正倉院の宝物に描かれている文様を図案化したものです。













正倉院北倉の宝物「麟鹿草木夾纈屏風(りんろくくさききょうけちのびょうぶ)」の写真です。

上の大きな木はぶどうだと聞きましたが、別の見方もあるようです。鹿の間の草木が何かはわかりませんでした。

正倉院といえば東大寺ですが、興福寺の東金堂は聖武天皇が叔母の病気平癒を祈願して建立されたということもあり、聖武天皇の愛用品が保管されていた正倉院ともつながりが深いのですね。

正倉院文様については、几帳のデザインにもよく登場しますので別ページでまとめたいと思います。

興福寺に鹿の戸帳は本当にぴったり。現在、再建が進んでいる中金堂にはどのような戸帳がかけられるのでしょうか、楽しみです。